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市域の変遷

最終更新日 2010年2月27日(土曜日)

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 厚木市は相模平野の中央に位置し、相模川右岸の洪積台地と沖積平野を含む広大肥沃な地域にあって、既に5千~6千年前の縄文時代前期には人々が定住したと推定される。市域は地方豪族の私領、鎌倉武将の所領や寺領と変遷を重ねた

 「あつぎ」の地名が史書に初めて登場してくるのは、南北朝の時代である。建武5年(1338年)、夢窓疎石が高師直にあてた書状の中に「相州厚木郷」と記されている。

 「あつぎ」の地名の由来は、木材の集散地であったところから、アツメギがアツギに変化したとか、アイヌ語のヤオロケシ(寄木)から名付けられたのだという説等があるが定説はない。

 江戸時代には、徳川氏の直轄領となり、その後、旗本領、大名領及び幕府直轄領が配されていた。この江戸時代中ごろ厚木村は、宿場町、産業、生産物の交易の場として発達し、貨物は往来にあふれるほど繁盛を極め、小江戸と呼ばれた。

 明治4年、新政府による廃藩置県で、荻野山中藩はそのまま荻野山中県となり、荻野山中陣屋に県庁が置かれた。荻野山中県は設置から4箇月で足柄県に統合され、続いて明治9年、足柄県も廃され旧相模国の地域は神奈川県に編入された。

 大正12年の関東大震災には大被害を受けたが、復興もめざましくこれを機に店舗や家並みが一新した。昭和2年小田急線の開通により京浜方面への往来も一層活発化した。

 昭和30年2月1日町村合併によって、厚木町、南毛利村、睦合村、小鮎村及び玉川村の1町4箇村が合併して厚木市となり、さらに同年7月には相川村、依知村の2箇村を、翌31年9月には荻野村を編入して今日に至っている。

 昭和50年代後半からは、森の里を中心とした研究開発型企業の立地や業務・サービスなどの産業も集積され、多機能を有する都市として成長した。

 現在、厚木市は、業務核都市として首都圏の機能の一部を担う役割が求められており、これまでの成果と都市機能の集積を生かし、新たな時代を展望した厚木らしさの創造に向け、自然環境と調和した特色あるまちづくりを推進している。

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情報発信元

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