12「御道替えの瓦版」

更新日:2023年05月14日

かけ替え

御道掛け替えの瓦版

文久2年(1862)8月21日生麦事件がおきました。当時は攘夷論によって外国人に対する治安が悪く、前後して外国人の殺傷事件が相次ぎました。そのため、幕府は東海道を通行する大名行列、京都の使者などに危険が及んだり、あるいは重要な公務に支障が起きるようでは困るので、外国居留民が多い横浜を避けた公的な道路を考え始めていました。そこで考えられたのが、東海道の品川から平塚の間を矢倉沢往還に付け替えることです。その詮議はすぐ行われ実地見聞も行われましたが、実現はされませんでした。

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