No.5 毛利(森)景行

更新日:2025年04月05日

東鑑

東鑑(あつぎ郷土博物館蔵)

毛利景行(生年不詳~建保元年(1213))は、平安末期の武士、鎌倉幕府の御家人です。承安2年(1172)伊豆山権現の経塚に埋納された鏡に刻まれた「藤原景行」と、治承4年(1180)に起きた石橋山合戦で大庭景親方に参加している「毛利太郎景行」とは、同一人物であろうと推測されています。毛利を名字としていることから、毛利荘の開発領主の一族と考えられています。同じく毛利氏を名乗った源義隆とは、預所と在地荘官の関係にあり、義隆の父、義家の代に毛利氏や荻野氏などが寄進を行い毛利荘が成立しました。景行ら藤原姓毛利氏が館を構えた地は、愛甲郡清川村煤ヶ谷と見られ、「御門」などの地名が残されています。 石橋山合戦では、大庭方、平家方に味方した景行でしたが、源頼朝が鎌倉へ入ると他の東国武士と同様に頼朝の下に参じ、御家人に列しました。その後、建保元年、和田義盛が起こした和田合戦において和田氏方に味方して「毛利人々」として太郎、小太郎、小次郎以下10人が討死し、藤原姓毛利氏は、毛利荘から姿を消すことになります。

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