No.6 大江広元

更新日:2025年04月05日

江就記

江就記(あつぎ郷土博物館蔵)

 

 大江広元(康治2年(1143)/久安4年(1148)~嘉禄元年(1225))は、平安末期の貴族、鎌倉幕府の御家人です。広元の生年、出自については諸説あり、詳細は不明ですが、当初は中原を名乗り、大江に改姓したのは建保4年(1216)に陸奥守に任じられた後のことです。

 兄、中原親能が源頼朝に仕えていた縁故を頼り、鎌倉へ下り、公文所、頼朝が右近衛大将となってからは政所の初代別当となり、主に朝廷との交渉に力を発揮しました。頼朝の死後は、北条政子や北条義時らと協力して幕府を支え、和田合戦では軍勢の招集や所領の相論を義時とともに行い、承久の乱では京都へ防衛よりも攻め込むように進言して、幕府方を勝利に導きました。

 広元は、全国各地に所領を持ち、毛利荘もその内の一つでした。広元が毛利荘を得た時期は不明ですが、建久5年8月8日(1194年9月1日)に頼朝が娘大姫の病気平癒を願い日向薬師を参詣した際に、下毛利荘で広元から「駄飼」(だしょう・弁当)を振る舞われていることから、建久5年までには毛利荘を与えられていたことがわかります。その後、病をえた広元は5人の息子に所領を譲り、毛利荘は四男季光に引き継がれました。広元も季光も、幕府重臣としての立場から、鎌倉に常在し、所領の支配は代官に任せていました。現在、その代官の館の跡さえも不明ですが、広元、季光ともに「飯山両所権現」と記されていることから、飯山の地と深く関係がありそうです。

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