No.11 藤九郎盛長

伝安達藤九郎盛長墓 バス停「十軒村」下車徒歩5分
藤九郎盛長(保延元年(1135)~正治2年(1200))は景盛、義景、泰盛と四代に渡り鎌倉幕府の重臣を務めた安達氏の祖です。鎌倉幕府初代将軍、源頼朝に流人時代から仕え、頼朝死後は出家し「蓮西」と号し、二代将軍頼家の下で13人合議制のメンバーとして梶原景時弾劾に関与しました。
その後、一族は北条氏に接近し泰盛の代に全盛期を迎えます。盛長は、安達盛長、最近では小野田盛長と紹介されることが多くなっていますが、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』では単に「藤九郎」とのみ記され、盛長本人は名字を持たなかったようです。
厚木市域内では、かつて毛利荘と呼ばれていた地域の中に盛長をはじめ安達氏に関係する伝承史跡が残されています。安達氏が毛利荘を得た時期は史料などに記載がなく不明ですが、盛長の孫の義景、ひ孫の泰盛の代に宝治合戦で毛利氏から手に入れたものと思われます。
三田にある八幡神社は盛長が勧請したものと伝えられ、その付近の上三田、毛利荘内の本拠地と考えられる飯山の金剛寺太子堂脇には盛長の墓と伝わる石造物が残されています。建立された年代は室町期と見られ、霜月騒動で泰盛が敗れ、毛利荘を失った後に作られたものです。また、飯山金剛寺には盛長の法名として伝わる「蓮西」とは別の法名「盛長院三空道無大居士」と記された盛長の位牌が伝来しています。
この記事に関するお問い合わせ先
産業文化スポーツ部 文化魅力創造課 あつぎ郷土博物館
〒243-0206
厚木市下川入1366-4
電話番号:046-225-2515
ファックス番号:046-246-3005
メールフォームによるお問い合わせ
更新日:2025年04月05日