No.17 夢窓疎石

夢窓疎石書状(一部)(複製)あつぎ郷土博物館蔵
夢窓疎石(建治元年(1275)~正平6/観応2年(1351))は、鎌倉幕府が滅び、足利氏が政権を握った激動の時代に活躍した臨済宗の僧侶です。後醍醐天皇をはじめとする7代の天皇から国師号を賜り「七朝帝師」と呼ばれました。武家からの崇敬も厚く、足利尊氏、直義兄弟の帰依を受け、疎石の晩年に起きた足利幕府の内乱、観応の擾乱では、尊氏、直義両派の調停に努め、多くの貴族、武士からの帰依を集めました。
京都の西芳寺、天龍寺をはじめとして鎌倉の瑞泉寺などの作庭でも知られています。 建武5年閏7月13日(1338年9月5日)に足利将軍家の執事、高師直に宛てて出された夢窓疎石書状(「瑞泉寺文書」)は、「厚木」の地名が初めて史料上に登場する古文書で、あつぎ郷土博物館にはその複製が展示してあります。
疎石の書状から、厚木郷が、北条高時が建立した崇寿寺の領地であったこと、関連した古文書から鶴岡八幡宮、円覚寺正続院との間で厚木郷の領有権をめぐって争いがあったことがうかがえます。この領有権争いは、疎石の死後、「厚木郷上方」を円覚寺正続院が、「厚木郷下方」を崇寿寺が治めることで決着がつきました。その境がどこだったのかは不明ですが、旭町2丁目に位置する川田前遺跡は「厚木郷下方」に含まれる地域となっています。なお、この古文書は、鎌倉 瑞泉寺(鎌倉市二階堂710)に所蔵されています。
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更新日:2025年04月05日