No.30 小幡勘兵衛景憲
蓮生寺 バス停「蓮生寺」下車徒歩3分
小幡勘兵衛景憲(元亀3年(1572)~寛文3年2月25日(1663年4月3日))は、甲州流兵学の祖であり、『甲陽軍鑑』を完成させた軍学者です。
武田家の家臣の子として生まれます。天正10年(1582)に武田家が滅亡すると、徳川家に仕え徳川秀忠の小姓となります。その後徳川家を出て、武田家旧臣を訪ね軍法や作法等の調査をしていました。
関ヶ原の戦いでは、徳川方の井伊軍に属し戦功を挙げ、大阪冬の陣においても、徳川方に属し戦功を挙げています。大阪夏の陣では豊臣方で参戦するも徳川方と内通し大坂城の諜報活動を行い徳川方を有利にしたとされています。
元和元年(1615)には再び秀忠に仕え、中依知村等の領地を与えられ軍学者として活動し、山鹿流の山鹿素行ら多くの門弟を抱えていました。元和7年(1621)頃から『甲陽軍鑑』の執筆し完成させたとされています。『甲陽軍鑑』は武田信玄とその子勝頼の時代の軍法、家臣の功績や社会情勢等か書かれており、当初は高坂昌信が執筆した書物を元に春日惣次郎・大蔵彦十郎がまとめた書を景憲が引き継ぎ完成させたと言われていますが、その経緯は詳しくは分かっていません。
寛文3年(1663)に亡くなったのち、中依知の蓮生寺に葬られました。現在蓮生寺には、頭部のみですが木像が残っています。
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更新日:2025年05月03日