No.32 大久保教寛

文化8年刊 武鑑 (厚木市文化魅力創造課蔵)
大久保教寛(のりひろ・明暦3年(1657)~元文2年(1738))は、駿河松長藩、荻野山中藩の初代藩主です。小田原藩藩主大久保忠朝(ただとも)の次男として生まれ、兄の忠増(ただます)が家督を継ぐと、駿河国と相模国内に6000石の所領を与えられました。その後、側用人を経て、西の丸若年寄に任じられたことで、駿河国富士郡などで5000石の加増を受け、1万1000石を領し、駿河国駿東郡松長(現在の静岡県沼津市)に陣屋を構える大名となりました。後に、藩主の居所となる荻野山中の地が与えられるのは、享保3年(1718)のことで、この時に教寛は1万6000石を領する大名となっています。享保15年(1730)に嫡子、教端(のりまさ)に家督を譲り、元文2年、81歳で死去しました。教寛が葬られた青山南町(現在の青山3丁目)にある教学院は、荻野山中藩の歴代藩主の他、小田原藩、下野烏山藩の歴代藩主の墓所となっています。
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更新日:2025年05月03日