No.36 田沼意次

更新日:2025年05月03日

東海道

東海道御道替之図(あつぎ郷土博物館蔵)

田沼家は、元々は紀州藩に仕えた足軽の家でしたが、紀州藩主であった徳川吉宗が八代将軍になったことで幕臣に取り立てられました。その際に、所領の加増があり、意次(享保4年(1719)~天明8年(1788))の父意行(おきゆき)の代に戸田村に所領が与えられました。さらに宝暦5年(1755)には意次が3000石加増され、長谷、船子村に所領を与えられました。田沼家は、厚木市域内に戸田村(11石4升4合)、長谷村(200石)、船子村(205石9斗9升2合)、3か村に約420石の所領をもっていました。

 田沼家の所領は、意次が大名となって間もなく領地替えとなりますが、意次が所領を与えられた翌年の宝暦6年(1756)と同7年(1757)の年貢割付帳が残ります。そこには、村落支配にあたった田沼家の家臣三好四郎兵衛方庸(まさつね)・井上官治両名の名が記されています。

 田沼意次は、長く強欲な金権政治家の代名詞のように紹介されてきましたが、近年では経済政策によって江戸幕府を立て直そうとした改革者としての再評価が進んでいます。

この記事に関するお問い合わせ先 inquiry

産業文化スポーツ部 文化魅力創造課 あつぎ郷土博物館
〒243-0206
厚木市下川入1366-4
電話番号:046-225-2515
ファックス番号:046-246-3005

メールフォームによるお問い合わせ