No.38 手中明王太郎

岡田 長徳寺本堂の図(鈴木光雄著「幕府作事方柏木、矢内匠家半原宮大工矢内匠家匠系譜」平成21年 神奈川新聞社営業局出版)
宮大工棟梁の手中明王太郎家は、工匠・師職(御師)兼帯の旧家として、大山寺、山頂の石尊社等の普請に際し、中心となるなど、大山を支えていました。手中匠家は大山寺開創の天平勝宝7年(755)、良弁上人に随行したとの伝承をもち、代々「明王太郎」を継承してきました。
厚木市岡田の長徳寺には、正徳2年(1712)の「棟梁明王太郎」墨書を持つ須弥壇が残されていました。この明王太郎は、元禄16年(1703)、長徳寺の火災後、本堂再建の大工棟梁でもありました。この明王太郎が誰なのか、記載がありませんが、この頃に明王太郎を名乗っていたのは、4度の大山寺造営、元禄3年(1690)日光東照宮修復に携わった吉當(田中明王太郎)、若しくは享保19年(1734)前鳥神社本殿を造営した當是あたりだと考えられます。
なお、當是の子が87代景直(1729-1786)です。景直は、明和8年(1771)の相州大山大火事で焼失した石尊社を再建した明王太郎として知られています。
その後、明治の大山寺本堂再建を手掛けた明王太郎は、景元(1819~1906)。鎌倉郡平戸村の生まれで、天保3年(1832)、12才で先代の手中明王太郎敏景の弟子になり、弘化2年(1845)に娘婿となりました。その後、名跡を継いで89代明王太郎を名乗り、数多くの社寺、神輿を手掛けただけでなく、100冊以上にもわたる「明王太郎日記」を残しました。
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更新日:2025年05月03日