No.39 大久保教義

荻野山中藩陣屋跡 「 桝割」下車徒歩5分
大久保教義(のりよし・文政8年(1825)~明治18年(1885))は、荻野山中藩、最後の藩主です。2代藩主教孝(のりたか)の次男として生まれましたが、兄、教業(のりなり)が早世したため嫡子となり弘化2年(1845)に父の隠居により後を継ぎました。教義が、藩主となった時期は、幕末、明治維新の激動の時代でした。
慶応3年(1867)12月、甲府城勤番で陣屋を留守にした最中、江戸薩摩藩邸に集まった討幕派浪士たちに荻野山中の陣屋を焼かれ、江戸城開城後は明治新政府の命令によって伊豆、相模地方鎮撫のために出兵、そして箱根戦争の責任を問われた小田原藩救済のため奔走しました。明治に入ると、伊豆、駿河国内の所領に代わって愛甲郡24か村を治めることになったものの、明治2年(1869)6月、他藩にならって版籍を奉還、藩知事に任じられました。同4年(1871)7月には、廃藩置県により荻野山中藩は消滅、教義は藩知事の職を解かれ、華族となって東京へと移住しました。東京では、駿河台で印刷工場を営み、明治23年(1898)に子爵となったことがわかっています。
最後の藩主、教義は西山と号し、三田・八幡神社の社号や下荻野・日吉神社の幟など、市内各所に墨蹟を遺しています。
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更新日:2025年05月03日