No.52 井上 五川

更新日:2025年05月03日

井上五川

井上五川筆「馬頭観音」あつぎ郷土博物館蔵

井上五川、本名・定八は、寛政4年(1792)、愛甲郡上荻野村に生まれた絵師で、幕末から明治初期にかけて県央地域に多くの作品を残しました。没年は明治8年(1875)。

絵の修行は、太田南畝(江戸後期の狂歌師・戯作者で、別号は蜀山人など。有能な幕臣で、天明調狂歌の基礎を作った)とも親交のあった相沢五流に学んだと伝えられます。武州関戸村(多摩市)在の五流は法眼位をもつ狩野派絵師で、厚木市域にも10点程の作品が残されています。五川が五流の弟子であることを示すのは、五川とその弟子五勇が模写した「法眼五流先生作庭の図」(天利庸氏蔵)の一点のみですが、文政4年(1821)、五流一派が手掛けた上荻野村松石寺の板戸(表裏6枚)と格天井は、五川も参加したのではないかと考えられています。

五川が絵師を目指したのは五流と出会う以前からで、18歳の頃には上荻野近くの半原塩川滝(愛川町)に祀られた飛龍権現に祈願して心身の鍛錬につとめ、23歳の時には自地内に龍神の石祠を建立するほどでした。

「龍」の揮毫を立願、修行し続けた五川の龍は「雨降りの龍」として珍重されました。下荻野村子合の地蔵尊に残る義太夫掛舞台の両袖、襖には昇龍・降龍が五川によって描かれており、旱天の際はこの舞台を掛けて降雨を祈ったそうです。

五川の作品リストからは、天井絵、軸、絵馬、紙本などの多様な形態に、図柄は得意の「龍」だけでなく庚申図、地神図、白澤図など、信仰に関するものも多く描いたことが分かります。弟子も多く育てた五川ですが、費用の掛かる江戸修行は叶わず、落款に記したのは「偶言五川」の文字でした。

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