No.45 斎藤鐘介
厚木神社 本厚木駅 徒歩約10分 バス停
斎藤鐘介(1802-不詳)は、江戸時代後期の厚木宿においての書家であり、あつぎを代表する文化人です。厚木六勝の選者と考えられ、渡辺崋山(1793-1841)が天保2年(1831)9月に江戸から厚木宿まで旅をした記録の『游相日記』にも登場します。
出自は不明ですが、兄は漢詩人である国島春翠であり、妻の志保は高座村深見村(現在の大和市)の名主小林氏、長男の七三郎は、後の厚木町初代町長を務め、その妻は中新田村の豪農大島正誠の次女キセです。とても人脈の広い人物であったと考えられますが、本人についての情報は少なく、「山本のお師匠さん」と呼ばれ寺子屋をやっていたといわれています。
また、厚木宿を訪れた多くの文人墨客たちにあつぎを案内し厚木六勝についての絵や詩歌などの揮毫を求めていました。厚木六勝と言えば渡辺崋山が最も有名ですが、崋山来訪前にも今井隆正大人等から100点以上の厚木六勝に関する漢詩、俳句をもらっていました。渡辺崋山があつぎの万年屋に宿泊した際もあつぎの文化人として崋山と交流し、あつぎの医師唐沢蘭斎と共にあつぎを案内し、厚木六勝をもらっています。
また、あつぎを離れる際の『游相日記』には、崋山もあつぎの人々も別れを惜しんでいる様子が記されており、たった2日の交流で崋山の心を掴んだ鐘介の人柄もしのばれます。
厚木神社の奉納ののぼりや手水鉢には鐘介の銘が残り、厚木神社の境内には句碑が残っています。
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更新日:2025年05月03日