No.46 蟹殿 洞々

更新日:2025年05月03日

蟹殿洞々肖像画

蟹殿洞々肖像画 井上五川画(あつぎ郷土博物館蔵)

蟹殿洞々は、上荻野村檜谷(ひのきやと)に生まれた俳人です。本名は、高橋市郎兵衛、または伊兵衛とも伝わります。俳号は、最初、陶々(とうとう)と名のり、のちに洞々と改めています。

はじめ、市内猿ヶ島、法師流俳諧の五柏園丈水(じょうすい)の門下でしたが、丈水亡き後は蕉門伊勢風の鴫立庵倉田葛三(かっさん)の門弟となって、鴫立庵系の人々とも親交を結び、春秋庵白雄にも師事しています。また、諸国の俳人とも親交が深く、各地の俳諧興行に参加したり、あるいは判者として名を連ねることもありました。

洞々門下には、田代(愛川町)の柳下亭牛将(大矢常八郎)、中依知の白木庵呉丁(萩原半左衛門)らがおり、文政7年(1824)には、小野村(厚木市)の小瀬邑氏に白羽の俳号授号状を発行したりもしています。

句集は文化13年(1868)の『的申(まともうし)』が知られ、肖像は、天保8年(1837)、同郷の井上五川によって描かれ(「蟹殿洞々画像」88.9×33.8cm、厚木市所蔵)、賛は上荻野松石寺の僧侶国穏道寧の手によります。

没年は天保6年(1835)で、69歳でした。追善句集は、天保11年(1840)、川入村の名望家で名主も務めた豪農(醤油屋)の俳人の五雲井槐堂によって刊行されています。

朝乙鳥(つばめ)虹の際まで往て来たり 洞々

(天保2年/1831)呉竹亭叙来追善「月の呉竹集」(22.5×16.5cm)所収

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