番外編 ダグラス・マッカーサー (Douglas MacArthur)

更新日:2025年06月07日

厚木かるた

厚木かるた(協力 一般社団法人あつぎものしり委員会)

  ダグラス・マッカーサー(1880-1964)は、アメリカの軍人。1930年、陸軍大将。極東通として知られ、1935年フィリピン軍事顧問。1941年にはアメリカ極東軍司令官、1942年連合国軍南西太平洋方面司令官となり、対日反攻を指揮。1945年日本占領連合国最高司令官となり、占領施策の実施にあたりました。終戦を象徴するイメージとして、コーンパイプをくわえ厚木基地に降り立つマッカーサーの写真はあまりに有名です。

1950年、朝鮮戦争の勃発で国連軍最高司令官を兼ね、作戦を指揮しましたが、中国本土への爆撃など強硬策を主張したため1951年に解任されました。 マッカーサーが降り立った厚木基地は、綾瀬市、大和市に位置し、厚木市にはありません。その命名理由については不明です。 防衛研究所主任研究員(当時)柴田武彦氏による講演会「なぜ“厚木基地“になったのか」(2008年11月22日、厚木市郷土資料館)では、命名理由を不明としながらも、軍事施設等に係る命名付与法の原則、エピソードなどから、「厚木基地」について、次のように述べています。

1 艦艇、航空機など、海軍の命名付与法の原則を海軍関係規則から、具体例を説明。驚いたことに、三重海軍航空隊が「香良洲」とならなかったのは、海軍のシンボル海鷲の雛を食べるカラスでは不適なため。「安房」が不適な理由は、安房航空隊を略すとアワクウ=泡を食うということで却下。語呂や験かつぎでも決まるのは、軍隊は建設業以上に危険で人智の及ばぬところがあるためとのこと。

2 基地の命名規則について、柴田氏は、「厚木」以外で考えられる名前を列挙。綾瀬(川の名前は戦艦が原則)、大和(奈良県の旧国名)、渋谷(渋谷区が著名)、高座(同時期に基地となる高知との混同を避ける)、相模(すでに陸軍が近隣の中津に命名、同名の戦艦もあった)など、それぞれの不都合な点をあげる消去法から「厚木」を確定していきました。「厚木」の命名由来は、「最寄著名地」が該当します。航空隊の立場からも、半径10キロメートルは専用空域となり、地上で考えるほど厚木の違和感はないといいます。

3 「基地と関係のない厚木という町場の名をつけたのは、米軍の誤爆を誘う手口である」という、厚木の住民が長い間伝えてきた噂の信憑性に対して、柴田氏は「米軍の情報収集能力は、その程度のものではない。当時、すでに偵察用B29による相模平野全域の航空写真が撮影されていた」ことから、この噂が伝承にすぎないことを指摘しました。

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