No.56 小宮保次郎

源養寺 バス停あつぎ郷土博物館下車 徒歩10分
小宮保次郎(天保8年(1838)~明治33年(1900))は、相模国下川入村の豪農佐野一郎勝政の次男として生まれた自由民権運動家です。義父、小宮静一郎に子がなかったため、小宮家の養子となりました。
明治13年(1880)に起きた国会開設運動に参加し、愛甲郡筆頭の総代、神奈川県の総代となります。同15年(1882)には、旧荻野山中藩士の天野政立(まさたて)、神崎正蔵、難波惣平らとともに黒田黙耳を会長に、地方結社、相愛社を結成し、保次郎自身は幹事として支えました。翌16年(1883)に、三田・清源院で行われた板垣退助ら自由党幹部の演説会に参加しました。
明治14年5月、義父、静一郎が没し家督を継いだ保次郎は7月1日から日記を書き始めます。日誌には書き始めた明治14年7月から同17年(1884)12月27日までと、明治20年(1887)から同23年(1890)までが記録され、明治21年と同22年には相場を書き残しています。日誌からは、毎日の天候、気温、日常生活、事件や出来事などとともに自らが民権運動家としての活動、明治15年に当選した県会議員としての活動、そして村の豪農としての活動を見ることができます。
県会議員だけではなく、村会議員や戸長などを歴任した保次郎は、明治33年6月4日に没しました。保次郎が眠る墓は、あつぎ郷土博物館から徒歩10分ほどの下川入源養寺にあります。
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更新日:2025年06月07日