No.60 曽我徹随

『布哇土産』あつぎ郷土博物館蔵
曽我徹随(1885-1936)は浄土宗の僧侶。明治18年、妻田西福寺の住職・曽我明随とウタ夫妻の長男として愛甲郡妻田村に生まれました。
徹随は、明治40年、浄土宗の海外布教、教化のための開教師として、ハワイへ渡ることを命じられました。この渡航での赴任先はハワイ島バウハラのハマクア教会でした。その6年後、大正2年の帰国に際し、父の明随に送ったのが『布哇土産』の原稿でした。
帰国後は小鮎小学校に勤務し、大正5年には同僚の志村フクと結婚、翌年には妻子を伴い、再びハワイへ渡り、北部のハラカウの4代目教会長に就任、フクも在留員となりました。大正10年、妻・フクの死という不幸な出来事が徹随をおそいました。フクをハカラウ浄土院の墓地に埋葬すると、徹随は、子供を連れて帰国せざるを得ませんでした。
大正12年、再婚した徹随は、樺太開教区長の重責を負い、豊原町(ユジノサハリンスク)開教院の6代目開教院長に就任しました。樺太赴任13年目の昭和11年、徹随は52年の生涯をこの地で終えます。浄土宗の海外布教に、人生の半数を捧げた人でした。
徹随が著した『布哇土産』(あつぎ郷土博物館蔵)ですが、ハワイ島バウハラの気候、生物、衣食住、日本人学校、宗教、交通、政治、産業などの地域概要を紹介したものです。陣取りに似た「スティルエッグ」、鬼ごっこのような「ポカモアー」、ボールを使った「ニガベベー」など、子どもの遊びも詳細に伝えており、興味深いものです。浄土宗開教師とともに、元小学校教師でもあった徹随、そして当時の妻・フクの視点が、このようなところにも伺えるようです。 西福寺(妻田東3-38-26)は、バス停そりだハイツから徒歩4分に位置します。
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更新日:2025年06月07日