No.63 松川サク
松川サク氏(写真提供:相模ゴム株式会社)
松川サクは、一代で会社を男性避妊具のトップメーカーに育て上げた昭和の実業家です。
生まれは明治25年(1892)。愛甲郡小鮎村で、生糸製造業を営む家の三番目、次女として生まれました。 尋常小学校時代には男児と競争で木登りをして負けたことがないという、負けず嫌いのわんぱく娘、好きな学科は数学や作文、苦手は習字だったようです。
女に学問は必要ないという時代、実業補習学校を終えたサクは、友達の知人を頼って東京へ出、行儀見習いをしたのち同年の松川儀良と結婚。横浜で医療用酸素を卸す商売を始め、震災後は薬剤師を雇って東海薬局として出直しました。 夫の急死にあいながらも、順調に商売をすすめていましたが、薬局で売るコンドームの質や劣化には不満を抱いていました。
そこで、新製品を開発しようと昭和9年(1934)にアサヒラテックス研究所を設立。元薬剤師で研究家の武内重夫の協力を得、また戦時下における軍部からの要請もあって、大陸での製造にも乗り出します。戦争の激化に伴い撤退したのちは、昭和19年(1944)12月、厚木市元町に「相模ゴム工業」を設立。社長を務めた武内氏没後はサクが社長を引き継ぎ、多くの努力を重ねて会社をトップメーカーへと育て上げました。
サクの避妊具に寄せる思いは、家族計画の重要性を説いたマーガレット・サンガー(1879~1966)の信念にささえられています。「子どもを産むか生まないかは自分で決めること」と考えたサクは、女性を守るための避妊具を作って広めることに力を注ぎます。そしてこの避妊具は、のちにエイズの予防にも世界的に力を発揮したのです。
活動的なサクは、女性の地位向上を目指すボランティア組織や商工会議所婦人連合会の会長などを歴任し、地域商工業の振興を図りました。その活躍と地元への貢献が評価され、昭和60年(1985)、厚木市の名誉市民第一号にも、和田傳、石井忠重らと共に選ばれています。昭和61年(1986)に世を去ったサクですが、「科学や発明に興味をもった若者を育てたい」との遺志と寄付によって松川サク工業基金が設立され、小・中・高生の自由研究や、大学生の卒論を対象にした「松川サク工業賞」が設けられ、今なお青少年の育成に寄与しています。
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更新日:2025年06月07日