No.3 源義隆・頼隆

更新日:2025年04月05日

源義隆図

千葉家文書 地蔵尊出開帳御指令書(あつぎ郷土博物館蔵)から毛利冠者源義隆公図

千葉家文書 御指令書

千葉家文書 地蔵尊出開帳御指令(あつぎ郷土博物館蔵)


 

  厚木市域の大半を占めた荘園、毛利荘からは後に毛利元就の家につながる安芸毛利氏の家系の他、二つの系統の毛利氏が誕生しました。その内の一つが、源義隆(生年不詳~平治元年(1159))を祖とする源姓毛利氏の一族です。

源義隆は、源義家の七男(六男とも)で、毛利荘を領有し「森冠者陸奥六郎」を名乗っていました。平治の乱が起きると源義朝方につきますが敗北、ともに東国へと落ち延びる途上で延暦寺の僧兵の手によって命を落としました。

頼隆(平治元年(1159)~没年不詳)は、義隆の子で同じく「毛利冠者」を名乗りました。千葉常胤によって下総に逃れてきた頼朝と引き合わされ、以後、幕府内で厚遇を受けました。

義隆・頼隆とも厚木市との直接的な関わりは見られず、荻野川に架かる源氏橋にある平成4年(1992)に建立された源氏河原の碑に「陸奥七郎が館の跡は ここらあたりか源氏橋」と刻まれている程度となっています。 鎌倉幕府成立後、頼隆は拠点を信濃へ移し、若槻氏や織田家の家臣として活躍した森可成らを輩出した森氏の祖となっていきます。

 

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