No.9 近藤能成
金剛寺 バス停「飯山観音前」下車徒歩7分
養和2年(1182)5月25日、飯山金剛寺の僧侶たちが鎌倉にある源頼朝の御所に集まり、郷司の古庄近藤太能成(ふるしょうこうどうたよししげ)の非法を訴えました。非法の内容は、能成が金剛寺に対して不当に税を課し、山中での狩りや養蚕に僧侶を無理やりに働かせているといったもので、頼朝からは直ちに止めるように命令が下されています。
鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に書かれたこの記事は、厚木で古くから養蚕が行われていたことを示すものでもあります。訴えた側の金剛寺には、国の重要文化財に指定された木造阿弥陀如来坐像が残されています。平安時代後期に流行した定朝様の代表作とされる優品で、往時の隆盛がうかがえます。
能成と相模国内の有力武士であった波多野経家の三女・利根局との間に生まれた能直は、経家の遺領相模国足柄上郡大友郷(現在の小田原市)、さらには大江広元の兄中原親能の養子となったことで九州北部の所領も継承し、大友を名乗りました。能直は、蒙古襲来を機に本拠地を豊後国へ移し、勢力を拡大し、守護大名、そして戦国大名大友氏としてキリシタン大名として知られる大友宗麟の代に最盛期を迎えることになります。
写真は、金剛寺 厚木市飯山5456
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更新日:2025年04月05日