No.4 源頼朝
頼朝公富士御狩之図(あつぎ郷土博物館所蔵)
源頼朝(久安3年(1147)~建久10年(1199))は、鎌倉幕府初代将軍です。河内源氏の棟梁、源義朝の三男として生まれ、平治の乱で父、義朝が敗れると伊豆国へ流されました。20年近くの雌伏の後に以仁王の令旨を得て挙兵、鎌倉を本拠地に勢力を拡大し、源義仲、ついで父、義朝の仇である平家を壇ノ浦に滅ぼしました。その後、平家追討の大将であった弟、源義経追討の名目で全国に守護・地頭を設置して武家政権の基礎を確立させました。 建久5年8月8日(1194年9月1日)、頼朝は娘、大姫の病気平癒を祈願するため日向薬師を参詣、その途上で厚木市のほぼ大半を占めた荘園、下毛利荘に立ち寄り、そこで領主である大江広元から弁当を振る舞われたことが鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に記されています。
この日向薬師参詣の際には、52人の御家人が付き従い、愛甲三郎季隆も弓持ちとしてその名が見えます。 荻野、飯山、小野に頼朝に関連する伝承が残されていますが、時系列や登場人物の生没年におかしなところがあるなど、言い伝えの域を出るものはありません。また、三田・清源院には頼朝の最初の妻、八重姫の父、伊東祐親を祖と伝えるする旗本、伊東政世をはじめとする伊東氏の墓所があります。
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更新日:2025年04月05日