No.8 愛甲三郎季隆

更新日:2025年04月05日

愛甲三郎居館跡

兜稲荷・伝愛甲三郎季隆館跡 バス停「愛甲橋」下車徒歩3分

 愛甲荘は、厚木市愛甲を中心に七沢、小野、愛名、船子、岡田を含めた玉川流域に広がっていた荘園です。愛甲氏は、平安時代末期に武蔵国で興った武蔵七党と呼ばれた有力な武士団の一つ、横山党の流れをくむ一族です。

 横山党が相模国に勢力を拡大していく中で、海老名氏、本間氏、荻野氏などが興りました。 愛甲荘を領し、愛甲氏を名乗った三郎季隆は、弓の名手として知られ、『吾妻鏡』や『御的日記』などに弓初めや牛追物、流鏑馬、笠懸などの射手として、その名前を見ることができます。また、将軍、源頼朝が御所を離れる際には弓矢を持つ調度掛りとして随行している記述も多く見られます。曽我兄弟の仇討ちを題材とした軍記物『曽我物語』には、和歌に通じた逸話があり、文武に通じた武士として評価されていたことがうかがえます。

 頼朝の死後に起きた、畠山重忠の乱では、二俣川で季隆が重忠を射殺し、その首を取るなどの功績をあげました。建暦3年(1213)に起きた和田合戦では、和田義盛の一族に味方し、敗北、愛甲氏は三郎季隆をはじめ一族の主だった者たちが討たれました。

愛甲荘に属した地域の中には、愛甲三郎の墓とされる石塔がある西嶺山円光寺(愛甲2-4-1)、愛甲山宝積寺(愛甲西3-6-24)をはじめとした、愛甲氏に関連する史跡や伝承が現在でも多く残されています。

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