No.10 隆寛

更新日:2025年04月05日

飯山 光福寺

池谷山光福寺 バス停「光福寺前」下車徒歩2分

  隆寛(1147~1227)は、鎌倉時代の僧侶で、専修念仏の指導者。師である法然の唱えた専修念仏、つまり教学ではなく、称名念仏に専修することで悟りに達するという、その教えの後継者でした。新しい宗派である浄土宗の教えは、広まるにつれて、天台宗など旧来の仏教宗派から迫害を受けていました。

  法然没後の嘉禄6年(1227)7月には、朝廷から専修念仏禁止の命が発せられ、隆寛ら3人が流罪に処されます。隆寛は陸奥国に配流となり関東に下ってきますが、この時隆寛を匿ったのが毛利庄飯山に居所をもつ毛利季光でした。季光は、鎌倉時代の武将で大江広元の四男、相模国愛甲郡毛利庄を領したため、毛利姓を名乗っていました。

季光は、建保7年(1219)、将軍・源実朝殺害の直後、出家し、法名を西阿と称しました。これは西阿弥陀仏の略で、熱心な念仏信者であったと思われます。 しかし、季光が隆寛を迎えたわずか5箇月後の12月13日、隆寛は飯山の地で亡くなりました。飯山の光福寺は現在、浄土真宗の寺院ですが、古くは教念寺という浄土宗の寺でした。開山を隆寛と伝え、その墓石が建てられています。

  隆寛の墓は、光福寺(飯山4501)の境内墓地の中にあります。

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