No.21 足利 持氏

更新日:2025年04月05日

中津川取水口

中津川の取水口から下川入を望む(松羅公園横)バス停「才戸橋」下車徒歩3分

 足利持氏(応永5年(1398)~永享11年(1439))は、足利尊氏の三男・基氏から始まる鎌倉公方の四代目です。相模国鎌倉を本拠に関東10か国と東北を管轄し、鎌倉府の全盛期を築きあげました。しかし、勢力の拡大、権力の強化は、鎌倉公方の補佐役である関東管領の上杉氏、室町幕府との対立を深め、永享の乱(1438~1439)を起こして敗北、鎌倉・永安寺で自害しました。

 持氏の死後、鎌倉府は一旦滅亡しますが、持氏の遺児を擁して反乱(結城合戦)が起き、混乱が続くと、生き残った持氏の子、成氏(しげうじ)が新たな鎌倉公方となりました。

 持氏は、応永9年(1402)と応永26年(1419)の二度に渡り、河入郷が三田村に対して用水の使用料の支払いを催促することを停止する判決を下しています。二度の命令にも関わらず河入郷からの催促はやまなかったため、三田郷を治める覚園寺は嘉吉3年(1443)、持氏の死後にも鎌倉府に対して催促停止を訴えています。応永9年の古文書は現存していないため、応永26年6月3日の足利持氏御教書が「河入」の地名の初見となります。

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