No.19 上杉憲顕(山内上杉氏)
飯山観音 長谷寺 バス停「「飯山観音前」下車徒歩約15分
上杉憲顕(徳治元年(1306)~正平23/応安元年(1368))は、山内上杉氏の始祖で、初代関東管領です。鎌倉の山内に居館を構えたことから、山内上杉氏と呼ばれました。 上杉氏は、藤原氏北家勧修寺流の流れを汲む貴族の出で、重房の代に鎌倉へ下り丹波国何鹿郡上杉荘(現在の京都府綾部市上杉町付近)を得て武士となり、足利氏に仕えました。
憲顕は、足利貞氏に仕えた憲房の子として生まれ、室町幕府を開いた足利尊氏・直義兄弟の生母・上杉清子は母方の叔母にあたり、尊氏兄弟とは従兄弟の関係にあたります。 延元3/暦応元年(1338)に尊氏の命を受けて関東へ下り、鎌倉府の執事として足利義詮、ついで基氏を高師冬とともに補佐し、鎌倉府の基礎を固めました。正平5/観応元年(1350)に観応の擾乱が起き、尊氏・直義兄弟が対立するようになると、憲顕は直義派として活動し、尊氏派の師冬を鎌倉から追い落としました。しかし、観応の擾乱は尊氏方の勝利に終わり、憲顕は直義亡き後も尊氏に対して10年近くも抵抗を続けていくことになります。
正平17/貞治元年(1362)、憲顕は基氏に請われて関東管領へ復帰、以後、山内上杉氏が関東管領の職をほぼ独占していくことになりました。 厚木市域内の飯山は、観応の擾乱の最中、憲顕と師冬が戦った場所です。憲顕は「飯山寺」に籠る師冬から基氏を奪い返す湯山事件の現場となりました。また、憲顕の子孫、顕定は扇谷上杉氏の一族が籠る七沢城を攻め、これを落としています。 「飯山寺」と目される金剛寺、長谷寺(飯山観音)は飯山観音前バス停、七沢城址は七沢城跡バス停が最寄りとなります。
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更新日:2025年04月05日