No.20 足利基氏

更新日:2025年04月05日

金剛寺

金剛寺 バス停「飯山観音前」下車徒歩7分

足利基氏(興国元/暦応3年(1340)~正平22/貞治6年(1367))は、室町幕府初代将軍足利尊氏の四男で、鎌倉公方の初代です。

室町幕府は創設以来、尊氏の子義詮を置いて関東の支配を任せていましたが、尊氏とその弟直義との間で抗争が起きると、正平4/貞和5年(1349)、尊氏の命令により義詮は京都へ、兄義詮に代わって基氏が10歳で関東へと下されました。上杉憲顕、高師冬の補佐を受けましたが、観応の擾乱が起きると直義方の上杉憲顕に担がれ、各地を転戦、叔父直義の死後は尊氏に従い直義方や南朝勢力と戦い東国における鎌倉府支配の基礎を築き上げました。

厚木市域内では、関東における観応の擾乱の行方を左右する湯山事件が飯山で起きています。上杉憲顕に鎌倉を包囲された高師冬は、観応元年12月25日(1351年1月31日)、基氏を奉じて鎌倉を脱出、翌日に毛利荘飯山に到着します。しかし同月27日に直義派の近習と石塔義房の手の者によって基氏を奪い返され、師冬は甲斐国須沢城(現在の山梨県南アルプス市)へと落ち延び、そこで自害することとなります。基氏の幼名は光王、亀若などが知られますが、石塔義房が提出した注進状には「若御前」と記されています。

この記事に関するお問い合わせ先 inquiry

産業文化スポーツ部 文化魅力創造課 あつぎ郷土博物館
〒243-0206
厚木市下川入1366-4
電話番号:046-225-2515
ファックス番号:046-246-3005

メールフォームによるお問い合わせ