No.35 間部詮房

寄場厚木町組合四十八か村絵図(厚木市文化魅力創造課蔵)
間部詮房(まなべあきふさ・寛文6年(1666)~享保5年(1720))は、徳川六代将軍家継、七代将軍家宣の二代に仕えた側用人です。猿楽師の弟子から、甲府藩主であった徳川綱豊(後の家継)の目に留まり小姓に取り立てられ、昇進を重ね、家継が将軍になると幕臣となりました。幕臣になってからは、側用人に任じられ、相模国領1万石の大名、老中次席にまで昇りつめ、新井白石とともに「正徳の治」を主導しました。
相模国領1万石の内訳は、鎌倉郡に約1600石、大住郡に約3000石、高座郡に約1600石、愛甲郡に約4300石となっており、厚木市域内には大住郡下岡田村、愛甲郡厚木村、下古沢村、愛名村、温水村、上船子村、下船子村、妻田村、上三田村、中三田村、下三田村の2郡11カ村の中に所領がありました。散在する相模国内の所領をまとめるため、江戸にも近い厚木村に拠点を構えたと考えられていますが、厚木村に置かれた居所には家臣を派遣する程度で詮房本人が厚木を訪れることはなかったと思われます。紀州徳川家から吉宗が八代将軍に迎え入れられると、詮房は側用人の任を解かれ、越後村上藩へと移されました。 猿楽師という芸能の身から、国政の実質的な最高責任者の立場にまで昇りつめた人物は、日本の歴史上、詮房の他にはいません。そして、詮房を祖とする大名・間部家の歴史は厚木藩から始まります。
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更新日:2025年05月03日