No.47 渡辺崋山

更新日:2025年05月03日

游相日記

『游相日記』(稀書複製会 複製)(あつぎ郷土博物館蔵)万年屋での様子

渡辺崋山(1793-1841)(通称:登)は、江戸時代後期の三河国田原藩(現:愛知県田原市)の藩士であり画家、蘭学者としても活躍しています。

 崋山は、幼い頃から貧しく絵を売って家計の足しにしていました。その中で金子金陵(不詳-1817)に師事し、その後絵の才能を認められ、谷文晁(1763-1841)の元で絵画を学びました。日本画に留まらず、西洋の陰影法を取り入れた写実性の高い肖像画は、当時から人気があり、代表作としては、「鷹見泉石像」(国宝・国立東京博物館蔵)があります。他にも重要文化財に指定されている絵画を多く描いています。

 あつぎとの関わりとしては、天保2年(1831)9月、門人の高木梧庵(1808-1862)と共に厚木宿まで旅をし『游相日記』を記しています。『游相日記』には、江戸から厚木宿までの街道の様子や厚木宿において俳人や画家などの文化人と交流した様子などがスケッチを交えて書かれており、当時の相模国の様子が良くわかる貴重な資料となっています。また、厚木滞在中に厚木の風雅人・斎藤鐘介(1802-不詳)に求められて、『厚木六勝』(米国・ハーバード美術館蔵)を描いています。

 崋山はその後、天保10年(1839)に蛮社の獄で冤罪をかけられ投獄され、家族と田原で蟄居生活を送りました。生活はとても貧しく、門人らが崋山の絵を密かに売っていましたが、そのことが幕府に露見されたと誤解した崋山は、田原藩や藩主に迷惑がかかる事を恐れて自刃しました。

 明治以降、名誉の回復がなされ、太平洋戦争以前の修身の教科書には忠孝の模範として掲載されていました。

この記事に関するお問い合わせ先 inquiry

産業文化スポーツ部 文化魅力創造課 あつぎ郷土博物館
〒243-0206
厚木市下川入1366-4
電話番号:046-225-2515
ファックス番号:046-246-3005

メールフォームによるお問い合わせ