No.40 吉田朝右衛門

更新日:2025年05月03日

福伝寺

福伝寺 バス停「王子」下車徒歩3分

 相模人形芝居は、神奈川県を代表する民俗芸能の一つです。神奈川県には、江戸時代から明治にかけて15ヶ所の人形芝居があったといわれていますが、このうち7ヶ所は厚木市内のものです。睦合地区の林座と南毛利地区の長谷座の2座は、現在も活動を続けており、昭和55年1月28日、小田原市の下中座とともに国の重要無形民俗文化財に指定されました。

 林座の女方(おんながた)衣装に「文化十年(1813)酉九月、妻田村」の墨書があるように、厚木周辺では文化文政期頃が人形芝居の最盛期と考えられています。しかし、厚木の人形芝居、その歴史がはっきりするのは、師匠として江戸や大阪から専門の人形遣いがやってきた幕末の頃からです。その一人が吉田朝右衛門です。

 安政3年(1856)、大阪からやってきた人形遣いの朝右衛門は林座や長谷座を指導しました。この「吉田朝右衛門」は、『増補浄瑠璃大系図』から「大阪相撲の頭取朝日山森右ェ門の子分となって」「朝右衛門を名乗る」者として初代朝右衛門に比定されてきました。しかし、近年に編まれた『義太夫年表近世編』を活用すると、初出座の年齢などから考え、厚木に来た朝右衛門を二代、若しくは三代とする可能性もでてきました。

 朝右衛門は、明治16年(1883)に林で亡くなりましたが、天涯孤独であった彼は、林の人々の世話を受け、最期まで人形芝居の指導を続けました。明治時代、林座が「吉田連」とも呼ばれていたのはこのためです。この呼称を「むしろ江戸系に対してはやくから上方系であることを誇っていた節が見え」ると考え、初期の指導者の多くが上方出身であることとあわせて、相模人形芝居の特徴として強調されてきた前傾姿勢の人形操作法・「鉄砲差(てっぽうざし)」にこだわる必要は無いのではないかと捉える研究者もでてきました。

 吉田朝右衛門はその死後、福伝寺に葬られ、林座の弟子たちによって立派な墓石が建てられています。また、四之宮の大念寺(平塚市)にも前鳥座(さきとりざ)の座員による墓碑が建立されています。

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