No.50 四川観玉珂
宝安寺 本厚木駅南口 徒歩10分
四川観玉珂(1730-1820)は、江戸時代の厚木商人、俳人。本名は告原和前。江戸時代初期、厚木に店を構えた近江商人、玉珂は告原伊兵衛の七代目、屋号は桜川。告原家は、本家の伊兵衛家、その分家に九郎兵衛家(多葉粉屋。後に日野屋)・九平次家(つた屋)・友八家(煙草屋)があります。
「四川観玉珂翁句巣」等を遺した俳人・玉珂は「厚木の梅明、後、八王子の松原庵星布尼に師事した。星布尼没後は鴫立庵白雄の門に加わり、白雄没後は同門江戸の金令舎道彦と近づいたが、相模俳壇では鴫立庵葛三を助けて厚木連中の中心人物」になったと『神奈川県史』人物編に紹介されています。「相模俳壇の重鎮」とも称されますが、俳人としてのスタートは明らかでありません。明和元年(1764)刊の俳書『冬篭』にその名が見えるのが初見のようです。ここには「相中厚木列虫庵社中」として分家の青雨(九郎兵衛の俳号)とともに掲載されました。告原家は他にも、多くの俳人、狂歌人を輩出した家でした。
文政3年(1820)、玉珂は91歳で亡くなりますが、嫡子良助、養子の喜七、若くして没した妻、後妻にも先立たれました。文化8年(1811)の「化政期俳人句録」(小林一茶)に収録された「夜の梅 なさぬ親子の むつましき」も、そのような玉珂の境遇を反映したものなのでしょうか。
なお、「赤本は 春のものなり 呼子鳥」は、渡辺崋山が来厚の折に紹介され、「游相日記」に記された玉珂4句の冒頭を飾る句ですが、この句が刻まれた宝安寺の墓は、孫・宗次郎(俳号:錦波)が建立したものです。
この記事に関するお問い合わせ先
産業文化スポーツ部 文化魅力創造課 あつぎ郷土博物館
〒243-0206
厚木市下川入1366-4
電話番号:046-225-2515
ファックス番号:046-246-3005
メールフォームによるお問い合わせ
更新日:2025年05月03日