No.49 つぶね法師

更新日:2025年05月03日

龍蔵神社

龍蔵神社 バス停「飯山観音前」下車徒歩5分

飯山・龍蔵神社には「ここに居れば ここの上なり 天の川」と刻まれた句碑が建てられています。この句を詠んだのが、つぶね法師(生年不詳~嘉永4年(1851))です。

つぶねが、飯山に移住してきたのは文政9年(1826)の春頃といわれています。金剛寺門前にあった白地蔵堂に庵を結び、寺子屋の師匠として村人に文字を教え、俳諧の指導をしていたと伝えられています。

俳諧を通じて、多くの俳人と交友し、文政6年(1823)から翌7年にかけては信濃方面へ長期間の旅に出ています。また、武蔵国柴崎村(現・東京都立川市)の名主、鈴木平九郎の日記「公私日記」には、多摩地方や駿河、遠江にも足をのばしていたことが記されています。つぶねは、僧名を善海といい、江戸麻布善通寺の弟子であったことが金剛寺の過去帳に記されていますが、その出生や本名については明らかにされていません。僧侶としての名声を望まず、清貧に甘んじたつぶねは、嘉永4年(1851)9月8日に白地蔵堂で80余歳の長寿で入寂しました。

厚木には、つぶねのもの以外にも多くの句碑が残されています。これは、豪農や豪商から一般庶民まで俳諧に親しむ人が多かったためと考えられ、江戸時代中期以降、厚木地方から数多くの俳人が輩出されました。

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