No.57 黒田黙耳
宝安寺 黒田黙耳の墓 本厚木駅徒歩5分
黒田黙耳(くろだもくじ・嘉永5年(1852)~明治21年(1888))は、京都出身の自由民権運動家です。明治維新後、神奈川県属となり、明治12年(1879)7月に愛甲郡役所の書記として厚木町に赴任しました。同15年(1882)、当時、全国的規模で展開していた自由民権運動により、数多くの民権政治結社が誕生する中で、厚木町でも民権政治結社、相愛社が結成されました。天野政立、神崎正蔵、小宮保次郎、霜島久圓ら郡村の有力者に推され、会長となったのが黒田黙耳です。創立の際に行われた懇親会は厚木劇場で行われ、1000人を越える聴衆が集まったと小宮保次郎は自らの日記に記しています。
黒田を会長として、95名の会員を擁して発足した相愛社は民権拡張を目指して学習討論会などを行いましたが、設立してわずか半年で小宮保次郎、難波惣平ら9名が相愛社を脱会して板垣退助率いる自由党に加盟、明治17年(1884)には解散していたようです。明治18年(1885)11月に大井憲太郎ら旧自由党員が一斉に逮捕される大阪事件が発覚すると、黒田は天野政立らと愛甲郡役所襲撃計画に加担したことで拘引されますが、計画自体が失敗に終わったため、釈放されました。釈放後の黒田の行方はわかりませんが、明治21年(1888)、厚木を遠く離れた地で没したようです。
現在、市内幸町の宝安寺にある黒田黙耳の墓は、昭和2年(1927)に建立されたもので、黒田の足跡が失われることを恐れて企画されたものです。宝安寺へは本厚木駅から徒歩5分です。
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更新日:2025年06月07日