沃土をささえたなりわいの道具

更新日:2021年04月01日

 厚木の地は、農業を生業とするものにも、さまざまな商いをするものにとっても恵みの多い“沃土”といえます。矢倉沢往還、八王子道、いく筋かの大山道、そして相模川が交わる厚木宿には人や物資が集まり、肥沃な相模平野からは多くの収穫がありました。相模川の鮎、丹沢山系の七沢石、木材など産物も豊富です。実際に使われてきた道具をみてみます。

1厚木の鍬、耕起具

 厚木の地で使われてきた鍬には、さまざまなタイプのものがあります。多数の鍬にスポットをあてると、柄角、柄長の問題、サクリ用とウナイ用といった形態上の問題が浮かび上がってきます。ウナウとは、耕地を耕起すること、サクルとは作条、畝立て、中耕などの作業をさし、両方の作業ができるよう2本の鍬をもっていることが厚木周辺の農家の一人前の条件でした。ウナイ鍬は、深くうち込んで土を起こすので重く大きいものでしたが、絶対的な呼称ではなく、男性のサクリ鍬を、女性がウナイ鍬として使用する場合もありました。重さも大きさもさまざまで、まさに鍛冶屋が注文者一人にあわせて作ったオーダーメイドの一品といえます。

柄の角度、長さは、耕作する土地の状況、地域に左右されるものです。形態の他にも、改良鍬と風呂鍬の問題、万能鍬の種類と導入の時期など、鍬の周りにはまだよく分からない、明らかにされなければならない問題が多数あります。周辺地域との比較も必要になってきましょう。

農具一覧并図解に載っている引鍬の概略図と、人が引鍬を実際に使用している写真

引継(「農具一覧并図解」)とその使い方

 引鍬、馬耕犂など、他にも「耕起」の農具を展示しますが、すでに使われていないこれらの農具は何を意味するのでしょうか。引鍬は、麦が裏作として盛んに作られた時代を、そして馬耕犂は農作業の効率化志向と馬耕教師と呼ばれた人の活躍をそれぞれ物語っています。特に後者は収蔵品だけをみても、刃の形状など微妙な違いによる工夫から、機械に引かせるものまで、多くのバリェーションがみられます。機械化前に急速かつ極度に進化し、完成に近づいた農具の姿がここにはみられます。

厚木周辺の鍛冶屋分布地図と刻印が記載されている画像

厚木周辺の鍛冶屋分布地図と刻印(左下は不明)

厚木周辺の鍛冶屋分布地図と刻印(左下は不明)   収集された鍬には、形状、用途、名称といった情報だけでなく、「刻印」によって制作者を示すものも多数あります。それは集められた鍬がいろいろな地域の多くの鍛冶屋の手になるものだということを伝えています。

厚木市域には、屋号等から29軒の野鍛冶が存在したことが確認されており、これは厚木市域にあった36という江戸時代の村にかなり近い数字となります。これだけ多くの鍛冶屋が、しかも近い時期に存在したとなれば、商圏を棲み分けて営業することを余儀なくされるでしょう。「村の」といわれるような密度で各地に存在していた鍛冶屋ですが、鍬の新調や修理など、地理的に最も近いところにある鍛冶屋と交渉を持つことが当たり前ではなかったようです。鍬の寄贈者がお住まいの地域と鍬に記された刻印の鍛冶屋からも、そのようなことが考えられます。

厚木に住む鍛冶屋・安斎さんが手がけた鍛造農具もあわせて展示してあります。

飯山在住の安斎功氏さんが厚木市の鍛冶屋で鍛冶をしている写真

厚木の鍛冶屋(飯山在住・安斎功氏)

安斎功氏さんが製造した鍛造農具が写っている写真

野鍛冶の仕事

ワンポイント解説

野鍛冶

 鍛冶屋は刀鍛冶に代表されるように、鋸、大工道具、蹄鉄など一つの道具を専業で作る傾向があります。ここからはみ出た地域生活に必要な道具、つまり農具、養蚕道具、包丁などの日用品を一人で作ってきたのが野鍛冶という職人です。鍬をはじめとする農具を中心に作るため「農鍛冶」ともいいます。

鍛造

 「金属を鍛える(叩く、熱する、冷ます)ことで、望む形にする作業」。たった一言で済んでしまう作業ですが、野鍛冶の仕事を実際にみれば、それがどれほど奥深いものかが分かります。さまざまな種類の鋼(炭素鋼)と地金(軟鉄)、その長所短所を上手に組み合わせ、鍛えることで鉄の道具を作ってしまうのですから。

ウナウを使用している人と、サクルを使用している人が写っている写真

ウナウ(左)、サクル(右)

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