絹本著色 弁財天十五童子像

更新日:2023年03月29日

公開日:2023年03月29日

絹本著色弁財天十五童子像

市指定有形文化財(令和5年1月24日指定)

名称及び員数

けんぽんちゃくしょくべんざいてんじゅうごどうじぞう

絹 本 著 色 弁 財 天 十 五 童 子 像

文化財の種類

有形文化財(絵画)

所在地

上依知2397

宗教法人 妙傳寺

所有者

宗教法人 妙傳寺

構造

絹本著色(けんぽんちゃくしょく)

 

 

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法量

縦80.7cm、横34.7cm

概説

本資料は、日蓮()星降伝説(ほしくだりでんせつ)でも著名な三箇寺(さんかじ)の一つ、厚木市上依知に所在する星梅山(せいばいさん)妙傳寺(みょうでんじ)に所蔵される「弁財天(べんざいてん)十五(じゅうご)童子像(どうじぞう)」である。妙傳寺(みょうでんじ)は、寺伝(じでん)及び『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』等によると、弘安(こうあん)元年(1278)本間(ほんま)重連(しげつら)開基(かいき)(だん)(おつ)とし、開祖は日蓮()、開山は厳誉院(がんよいん)(にち)(げん)とする。江戸時代の(かん)文期(ぶんき)に、不受不施派(ふじゅふせは)支持の立場をとった事から一時廃寺となったが、(かん)(ぶん)五年(1665)水戸の隠井山(かくらいさん)高在院(こうざいん)(みょう)徳寺(とくじ)から一心院(いっしんいん)日遥(にちよう)(~1696)が入寺して第二十三世となり復興したとされる。なお、日遥(にちよう)の没年と齟齬(そご)があるが、同寺に所在する厚木市指定文化財の()国天像(こくてんぞう)毘沙門天像(びしゃもんてんぞう)多聞天(たもんてん))からは、この日遥(にちよう)による元禄(げんろく)十年(1697)の墨書(ぼくしょ)(めい)のある()()が発見されている。

本資料の画面には、上方に金泥(きんでい)日輪(にちりん)白色(はくしょく)(げつ)(りん)を配し、唐装(とうそう)八臂(はっぴ)弁財天(べんざいてん)が岩の上の荷葉座(かしょうざ)(じょう)に立つ。現状では、弁財天()円光背(えんこうはい)火炎光(かえんこう)宝珠(ほうじゅ)は認められないが、赤外線写真により、その痕跡らしきものが見られる。弁財天(べんざいてん)は、𧞔襠衣(がいとうい)背子(はいし)(まと)い、双髻(そうけい)に結い、()()老面(ろうめん)白蛇身(はくじゃしん)宇賀神(うがじん)を頂き、更に宇賀神(うがじん)の上に鳥居()を置く。画面の最下段には、髪を美豆良(みずら)に結い、袍服(ほうふく)を着た十五(じゅうご)童子(どうじ)が描かれる。十五童子(じゅうごどうじ)の配置は、弁財天(べんざいてん)の真下に正面を向く(いち)童子(どうじ)を、左右に(しち)童子(どうじ)ずつ分けて配する、左右の均衡()を考慮した構図をとる。弁財天(べんざいてん)の左には大黒天(だいこくてん)、右には毘沙門天(びしゃもんてん)が配され、弁財天の岩座(いわざ)の下にやや小さく黒の束帯形(そくたいがた)唐装(とうそう)女神形(にょしんがた)が描かれる。

本資料の図様()は、弁財天(べんざいてん)宇賀神(うがじん)習合(しゅうごう)を物語るばかりでなく、大黒天(だいこくてん)毘沙門天( びしゃもんてん)の登場など、中世()の複雑な神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)有様()を如実に反映している。図様上(ずようじょう)注目されるのは、弁財天(べんざいてん)立像()である点、また()()宇賀神(うがじん)に加え()()を描く点が挙げられる。さらに、通例描かれる二天()に加えて束帯男(そくたいだん)神像(しんぞう)唐装女(とうそうにょ)神像(しんぞう)二神()が描かれる点が特色と言える。二神()を加える()(よう)は、金沢()文庫で開催された展覧会に出品された個人所蔵の作例にも見られるが、極めて稀である。

 

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