紙本墨画淡彩 仏涅槃図 狩野惟信筆 1幅 附 収納箱 1合

更新日:2026年03月10日

公開日:2026年03月10日

蓮生寺仏涅槃図

市指定有形文化財(令和8年3月10日指定)

名称及び員数

紙本墨画淡彩 仏涅槃図 狩野惟信筆 1幅 附 収納箱 1合

 

文化財の種類

有形文化財(絵画)

所有者

宗教法人 蓮生寺

所在地

厚木市中依知679番地

構造・法量

紙本墨画淡彩 掛幅

縦 225cm 横 145cm

概説

本資料は、蓮生寺に伝わる仏涅槃図であり、表具及び箱書き等の墨書(ぼくしょ)から、天明5年(1785)2月に什物(じゅうもつ)として納められたことが分かる。また、表具(ひょうぐ)裏面によると、文久(ぶんきゅう)2年(1862)9月に修復が行われており、その際に多くの檀家(だんか)から寄進(きしん)を受けていることが分かる。

蓮生寺は日蓮宗中山(なかやま)法華寺(ほっけじ)の末寺で、開山(かいざん)宗祖(しゅうそ)日蓮(にちれん)開基(かいき)本間(ほんま)重連(しげつら)中興(ちゅうこう)日源(にちげん)である。日蓮の霊跡(れいせき)「星下りの()(ずい)」を伝える市内3箇寺の一つであり、境内には星下りの梅樹がある。また、同寺には旗本(はたもと)小幡(おばた)氏の墓所(ぼしょ)があり、小幡氏代々の墓碑(ぼひ)が並ぶ。

仏涅槃図は釈迦(しゃか)入滅(にゅうめつ)の場面を描いたもので、時代や宗派を超えて数多く描かれ、釈迦入滅の2月15日に営まれる涅槃会(ねはんえ)において用いられる。国内に現存する最古の例は金剛峯寺(こんごうぶじ)(ぼん)(国宝)で、応徳(おうとく)3年(1086)の作である。

本資料の図様(ずよう)は、中央の宝台(ほうだい)上に頭を左側に置いて横たわる釈迦、その周囲には菩薩(ぼさつ)天部(てんぶ)、釈迦の弟子、王族、貴紳(きしん)などを、下部には様々な動物を描き、生きとし生けるものが釈迦を慕い悲嘆にくれる様子が表現されている。画面右上方には満月が輝き、釈迦の生母である摩耶夫人(まやぶにん)忉利天(とうりてん)から飛来する姿が描かれている。釈迦の周囲には沙羅双樹(さらそうじゅ)の木が右側に3本、左側に5本立ち、後方の右側にかけて跋提河(ばつだいが)が流れる。このような場面は『大涅槃経(だいねはんきょう)』に基づいたもので、仏涅槃図の通例によくみられるものである。

人物や風景は精緻な筆遣いによって丁寧に描かれており、衆生の悲しむ様子には臨場感がある。画面全体は水墨(すいぼく)を主体としているが、釈迦を始めとする一部の人物等には淡い彩色が施されている。

画面右下には「中務卿養川法眼藤原惟信(なかつかさきょうようせんほうげんふじわらのこれのぶ)(ひつ)」の銘と朱印の落款(らっかん)がある。中務卿法眼藤原惟信は狩野惟信(かのうこれのぶ)のことであり、狩野惟信33歳の作であることが箱書き等から分かる。

作者の狩野惟信は宝暦(ほうれき)3年(1753)の生まれで、奥絵師(おくえし)である木挽町(こびきちょう)狩野家7代の絵師であり、養川(ようせん)養川院(ようせんいん)玄之斎(げんしさい)を画号とした。12歳で奥御用絵師(おくごようえし)を務め、10代将軍徳川家治(とくがわいえはる)老中(ろうじゅう)田沼意次(たぬまおきつぐ)に重用された。天明元年(1781)に(ほう)(げん)に叙せられ、寛政(かんせい)2年(1790)に木挽町狩野家を継いだ。寛政6年(1794)には法印(ほういん)に叙せられている。大和絵(やまとえ)を得意とし、江戸城(えどじょう)障壁画(しょうへきが)京都(きょうと)御所(ごしょ)(かい)()を多く手がけた。文化5年(1808)1月9日に56歳で没している。法名(ほうみょう)は「(よう)(せん)院殿(いんでん)玄之斎(げんしさい)法印(ほういん)惟信(いしん)日詔(にっしょう)大居士(だいこじ)」。

以上、本資料は、奥絵師狩野惟信による大幅(たいふく)の作品であり、優れた画風で美術的な価値が高いことに加えて、裏書(うらがき)には寄進者として近隣地域の多数の人物が名を連ねており、檀家の信仰心の篤さが窺われ、歴史的な価値も非常に高いことなどから、厚木市にとって地域の歴史を考える上で重要な文化財であり、市指定文化財として誠に適切なものであると考えられる。

さらに、本資料とともに保管される収納箱は制作当初からのものであり、附として本資料とともに保存を図るべきものである。

 

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