厚木市郷土芸能まつり

更新日:2026年08月25日

公開日:2024年10月01日

第24回厚木市郷土芸能まつりを開催します!

あつぎに伝わる郷土芸能が一堂に会し、日頃の成果を発表します。

第24回郷土芸能まつりポスター
前回開催時の写真

過去の公演の様子(郷土芸能発表会)

前回開催時の写真

過去の公演の様子(相模人形芝居特別公演)

郷土芸能発表会

日時:令和8年10月18日(日曜日)

開場:午後1時

開演:午後1時30分

終演:午後3時20分(予定)

場所:厚木市文化会館小ホール(恩名1-9-20)

入場:無料・自由(当日直接会場へお越しください。)

※定員300人(先着順)

※予定時間は前後する場合がございます。御了承ください。

出演

相模里神楽垣澤社中

里神楽は「古事記」や「日本書紀」など、古代日本の神話を題材に、面を付けて行われる仮面黙劇で、神代(じんだい)神楽とも言われる神事芸能です。江戸中期、江戸で完成した里神楽は、相模地方にも伝わり、愛甲神楽として盛んに演じられていました。現在は、愛甲神楽から相模里神楽垣澤社中が受け継ぎ、相模流の流派を今日に伝えています。

長谷ささら踊り盆唄保存会

江戸時代中頃から長谷地区に伝わる風流(ふりゅう)(おどり)です。浴衣に赤たすきをかけた女性が竹で作った「ささら」と太鼓を鳴らしながら輪になって、唄に合わせて踊ります。関東大震災により途絶えてしまいましたが、昭和51年に保存会を結成し、復活させました。

愛甲ささら踊り盆唄保存会

江戸時代中期頃、相模地方に伝わり農民の間で伝承されてきた踊りで、「ささら」という竹で作った道具や太鼓を鳴らして踊ることから「ささら踊り」と呼ばれています。関東大震災でほとんど途絶えてしまいましたが、愛甲地区の人々が中心となり昭和43年に復活させました。

法雲寺酒井双盤講

鎌倉光明寺を発祥とする双盤(そうばん)念仏(ねんぶつ)を伝承し、始まりは16世紀頃といわれています。毎年行われる法雲寺の十夜(じゅうや)法要(ほうよう)のほか、同じく正統に伝承している県内の双盤四講中と共に毎年光明寺の十夜法要の際に輪番で興行しています。

宮郷太鼓保存会

明治頃、宮本地区には「二十六家講」という集まりがありました。宮郷の青年部会は宮本から太鼓を受け継ぎ、お囃子を叩いていました。その後、メンバーを増やし、昭和45年に宮郷太鼓保存会が正式に発足しました。

毎年七月には、荻野神社の夏祭りでお囃子を叩いており、精力的に活動をしています。

相模人形芝居特別公演

日時:令和8年11月15日(日曜日)

開場:午後1時

開演:午後1時30分

終演:午後3時30分(予定)

場所:厚木市文化会館小ホール(恩名1-9-20)

入場:無料・自由(当日直接会場へお越しください。)

※定員300人(先着順)

※予定時間は前後する場合がございます。御了承ください。

演目

(出演順)

・絵本太功記 尼ケ崎の段(相模人形芝居林座)

・人形芝居教室(林座)

・音冴春臼月 団子売(あつぎひがし座)

・伽羅先代萩 政岡忠義の段(相模人形芝居長谷座)

絵本太功記 尼ケ崎の段(相模人形芝居林座)

明智光秀が主君・織田信長を討った「本能寺の変」を題材に、光秀一家の悲劇を描いた作品です。

光秀の母さつきは、我が子の主君殺しを快く思わず、一人で家を出て尼ヶ崎へ庵を構えています。そこへ十次郎(光秀の息子)が出陣の許しを得るために訪ねて来ました。さつきは孫の初陣を喜び、許嫁の初菊との祝言も一緒にしようと支度をしていました。

討死を覚悟の十次郎は初菊に思い切るよう説きますが、聞き入れません。やがて鎧兜を整えた二人の盃事が行われます。祖母に悟られまいと涙を隠す二人を、さつきも深く理解していました。嘆く中、旅僧が風呂の湯が沸いたと知らせ、さつきは先に入るよう促します。三人が奥の間に入ると、光秀が忍び込み旅僧とにらみ、竹槍を突っ込みますが、そこにいたのは母のさつきでした。光秀も驚きを隠せません。

かけつけた操(光秀の妻)や初菊も驚きますが、さつきは主君殺しの報いとして光秀の非を説き、操も夫の気持ちを変えようと様々に説きました。

音冴春臼月 団子売(あつぎひがし座)

「団子売」は、本名題を『(ねも)(さゆる)(はるの)(うす)(づき)』という、景事の演目です。新春の江戸の町に、団子売の夫婦が杵と臼を担いでやってきます。軽妙な口上からはじまり、餅つきをしながら夫婦円満、子孫繁栄に例えて杵造は赤い鉢巻を、お臼はおかめの面をつけて軽快に踊ります。団子の言立てから、「高砂」の松の唄も取り入れて、おめでた尽くしで団子を売り歩く様子を見せています。

伽羅先代萩 政岡忠義の段(相模人形芝居長谷座)

17世紀半ばに世間を騒がせた、仙台藩のお家騒動を脚色した時代物です。仙台藩主の義綱にかわり、その子の鶴喜代(つるきよ)が藩主となりますが、後見人となった刑部(ぎょうぶ)に命を狙われています。

乳母の政岡は、若君(鶴喜代)を守るため男子の面会を禁じ、毒殺を恐れて食事は作り直し、自分の子である(せん)(まつ)には毒見をするよう言い聞かせています。

頼朝公の使者として、(さかえ)御前(ごぜん)が菓子折りを持って見舞いにやって来ます。すると、千松は母の教え通り菓子を食べますが、毒殺をはかったことが露見するのを恐れた八汐は懐刀で千松を刺し殺してしまいます。

若君を大事にして我が子の死にも動揺しない政岡の様子を見て、栄御前は政岡が鶴喜代と千松を取り替え、死んだのは鶴喜代だと思い込んで、政岡に企みを打ち明けて立ち去ります。一人になった政岡は、千松の死骸を抱きしめ、耐えに耐えていた心情を吐露します。

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